余命宣告を受けた私が“今”を生きる勇気を得た理由
序章:がん告知から始まった新しい旅
「リンパ節と骨に転移しています。ステージはⅣです。」
医師の声が、まるで遠くから聞こえてくるようでした。
私は前立腺がんを患い、すでに進行していることを告げられました。数値は冷たく、PSAは322。5年生存率は30〜50%。文字にすれば無機質ですが、その瞬間に押し寄せたのは「死ぬのか」という現実でした。
しかし不思議なことに、告知を受けた直後から私の中には「学びたい」という衝動が湧き上がりました。二千冊を超える書籍と向き合ってきた私の人生において、「読書=生きる力」であることをあらためて実感したのです。
その学びの旅を支えたのが、今回紹介する『いのちの言葉(ブッダ)』でした。
第1章:『いのちの言葉(ブッダ)』との出会い
著者の宮下真氏は、古代仏典「法句経」を現代に分かりやすく翻訳・編集し、人生に悩む人々に寄り添う言葉を届けています。
書店でこの本を手に取ったとき、私は「残された時間を、ブッダとともに過ごしたい」と直感しました。仏教というと難解な教義をイメージしがちですが、この本は一節一節が短く、シンプルで、心にまっすぐ届く。余命を意識し始めた私の胸に深く響きました。
第2章:心に刻まれた五つの言葉
本書の中でも特に私の心を揺さぶったのは、以下の五つの言葉でした。
- 「欲望ばかり追い求めても心は渇き、満たされることはない」
がん告知を受ける前、私は仕事や数字に追われ続けていました。いくら積み上げても満たされない。その理由を、仏陀は簡潔に言い切っていました。 - 「真実を語り、乞われたら惜しまず与える」
私は残りの人生を、学びや体験を周囲に惜しみなく伝えることに使おうと決めました。 - 「煩悩の火を消してから心ゆくまで笑おう」
悩みや恐れにとらわれる時間はもったいない。笑うためには心を整えることが必要だと気づかされました。 - 「赦すという勇気で怨みも恐れも取り除く」
病気をきっかけに、過去の人間関係や後悔を思い返すこともあります。赦すことは自分の心を軽くする作業でもあります。 - 「真実を真実と見ることができないなら、心は救われない」
病を抱えた現実を見つめる勇気。それが生きる第一歩になるのだと痛感しました。
第3章:“今”を生きるということ
「いまここで精一杯生きる」
この一節は、私の人生を変えました。過去を悔やみ、未来を恐れるのではなく、いま与えられた瞬間を生きる。
がんという現実を受け入れると、不思議と「今日をどう過ごすか」が一層鮮明になっていきます。
朝の散歩で空を見上げ、鳥の声を聞く。家族との会話を楽しむ。本を読み、言葉を味わう。
それらすべてが、「生きている」という確かな実感につながっています。
第4章:痛みと向き合う覚悟
私の背中の痛みは、ある日突然襲ってきます。
しかし、恐れに心を支配させるよりも、「痛みと共に歩む」と覚悟を決める方が楽になることを知りました。
ブッダの言葉は、まるで静かに寄り添う友人のように私を支えてくれます。
「この身はまもなく地上に横たわるだろう。不用の木切れのように投げ捨てられて」――そんな厳しい言葉さえ、不思議と希望を含んで聞こえるのです。
死を見つめるからこそ、生きる意味が鮮やかになる。その逆説を今、実感しています。
第5章:言葉が与えてくれた贈り物
西行の和歌に「うらうらとしなんずるなと思ひとけば、心のやがてさぞとこたふる」とあります。
死を焦ることなく、静かに受け入れる心。それが今の私の支えになっています。
読書を通じて得た学びを、これからも「せきがくの旅」として綴っていくことが、私の使命だと感じます。
ブッダの言葉は、余命宣告を受けた私に「生きる希望」を与えてくれました。
結び:あなたへ届けたいメッセージ
人は誰しも「死」という避けられない現実を抱えています。
しかし、死を意識することで、逆に「いま」を大切にできるのだと、私は気づきました。
『いのちの言葉(ブッダ)』は、あなたにもきっと「生きる勇気」を与えてくれるはずです。
学び続けること、言葉と出会うこと、それ自体が命を輝かせる旅です。
どうかあなたも、ブッダの言葉と向き合い、自分自身の「せきがくの旅」を歩んでください。
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