「親鸞の教え」が気になり熟慮の末手にした『歎異抄』

書評

100頁にも満たぬ『歎異抄たんにしょう』でありなが
らその難解さゆえ遅々ちちとして進まぬ日々

それは決して苦ではなく露が水面みなもに落つる
ように身に
み入り心地よく時は流れた。

『歎異抄』(金子大栄校注)私淑ししゅくした
当時の私の姿です。

「ある思い」が心を占めるようになり、
解決できずに悶々もんもんとした時を過ごす中
親鸞しんらんに興味を持つように。
(詳細は後ほどお話します)

本書を読み進める中で、親鸞の教えで、
「疑問」と呼ぶのが相応ふさわしいのか、又は
「気になること」という表現が良いのか、
いづれにしても2つのことが心の中で
咀嚼そしゃくできずにいました。

何度も読み返しているうちに、親鸞の
意図する深い思いが、少しづつ自分の
中で感じ取れるようになりました。

まずは親鸞の考えを知り、そして、
その考えに至った経緯とその後の
行動を知る。

そして、自分ならどう考えるのか、
どう行動するのかを思案し、
『歎異抄』と共に過ごす。

人生においてとても貴重で価値ある
経験となりました。

そして、2つの疑問は解消し、悶々もんもんとした
迷いの日々も終えることができたのです。

『歎異抄』は感謝の一冊です。

もし、人生に迷いを感じているのなら、
あるいは、そのような状況になることが
あったなら、

『歎異抄』と過ごしてみることを
お勧めします。

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親鸞の教えと向き合う中で領得できた言葉

他力本願。わがはからいにあらず。

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自分を見失いそうで不安な日々を過ごす方へ

・進むべき先が定まらない!

・思うような成果がでない!

・創造意欲がわかない!

こうした状況が突然訪れることが
あります。

私もかつて、そういう時期を過ごした
経験があります。

悩み、苦しみ、ただ、ただ時間だけが
過ぎていく、そうした時期はあります。

特に頑張り過ぎてしまうと、そういう
状態になりやすいように思います。

経験上、、!!

そして、解決の「切っ掛け」は、
これもまた、突然訪れたりします。

私の場合は、「歎異抄」を通しての
親鸞との出会いでした。

その後、親鸞については、別の書物にも
私淑ししゅくすることになります。

もし、今の自分に迷いがあるのなら、
また不安を感じているのであれば、
『歎異抄』をめくってみてください。

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自ら「悲僧悲俗」と称する親鸞上人が唱える考え

肉食妻帯を常とし、自らを「悲僧悲俗ひそうひぞく
と称する浄土真宗の開祖、親鸞上人。

『歎異抄』で語られる親鸞の教えの中で
特に興味を引かれたのが、他力本願、
悪人正機あくにんしょうきです。

■他力本願

最初に理解しておきたいのは、やはり
「本願」の意味。

「本願とは、生死の不安と愛憎あいぞうの悩み
とにある衆生しゅじょう(生あるものみな)を、
その不安と苦悩との無い処にあらしめ
たいということである。」

更に「本願に疑いなき心を信心という。
それが他力信心である。」

本書の解題にはそう記されている。

しかし、この解説だけでは、
「他力本願」を理解しきれない。

そこで、他の資料をいろいろと調べて
自分なりに納得できるようにまとめて
みたのが以下の内容です。

「他力本願」は、人任せにし、自主性
のないマイナスのイメージに聞こえる
が決してそのような意味ではない。

「他力本願」とは、自分の力を大きく
超えた非常に大きな力によって自然に
ある結果に導かれ、その結果本願を果
たす状態。

自分ではどうにもしがたい、なにか
大きな力が働いている。その結果、
人生が進んでいく。

そう考えると、過去の出来事の中に
そう思えるような出来事もあり、
領得りょうとくできるように思えました。

■悪人正機

次に悪人正機。

「悪人正機」は、Wikipediaによると、
こう定義されています。

「“悪人”こそが阿弥陀仏の本願(他力
本願)による救済の主正しゅしょう根機こんきである」

解するとすれば、悪人こそが他力本願の
主たる救済の対象ということになるので
しょうか。

「善人なおもて往生をとぐ、
いはんや悪人をや」

この有名な一文からから始まる三章に
ついて、本書解説はこう記述している。

「善事をなすものは善人、悪行を離れる
ことのできぬものは悪人である。

しかし、また悪人には悪行を離れること
のできぬ悲しみがあり、善人には善事を
頼むということもあるであろう。

そこに善人には、自力の限界を知らざる
限り、本願他力に帰するということがな
いという迂遠うえんさがある。

けれども悪人には大悲の願心をきいて直
下に心身に応えるものがあるであろう。

まことに深重しんちょうの本願である。」

次に、私が本書で得た気付きと考え、更に
その後の人生において受けた影響について
お伝えします。

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親鸞の教えに影響を受けた私の考え方と行動

なかなか思うような成果がでない。

新しく始めた事業において、その業績を
伸ばすことに悩んだ時期があります。

過去に経験のない事業であったため、
売り上げを確保するための仕組みを
作り出すところから始まりました。

仮説を立てていろいろと実施して
みるが、計画した成果が得られない。

ニーズは必ずある。
差別化できる事業領域である。
アプローチの仕方も正しい。

しかし、なにかがおかしい!

心身共に疲労もピークになったある日、
新聞に掲載された『歎異抄』の記事を
目にしました。

「他力本願。わがはからいにあらず。」

早速帰りに書店に直行し、『歎異抄』
を購入。

なにかが心の中で動き始めました。

わが身を超えた大きな力が働き、ある
結果に導かれていく。

なるようにしかならない。
なるべきようになる。

最善の努力をしたうえで、あとは
流れにまかせればよい。

そう確信できたとき、心に余裕が
生まれ、少しづつ、良い結果が
出始めてきました。

それは閾値いきちの少し手前まで来ていて、
あと一歩のところだったのだと思い
ます。

もし、諦めていたのなら、その成果
はなかったのだと思います。

人生の面白いところは、どの時点で
成功できるか、失敗に終わるのかが
そのときにならなければわからない
ことです。

大事なのは、自分を信じて、決して
諦めないことだと思うのです。

『歎異抄』は難解故に理解するためには
時間がかかるでしょうが、人生の中で
貴重な経験になると思います。

繰り返しになりますが、なにかに取り組み
成果がでないとき、あるいは、自分を見失
いそうになった時に、少しづつ頁を進めて
いくことをお勧めします。

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まとめ(時には身を任せることも!)

今回は、『歎異抄』(金子大栄校注)
についてお伝えしました。

『歎異抄』を理解するためには、
「他力本願」と「悪人正機」について
本来の意味と向き合う必要があります。

「わがはからいにあらず。」

「善人なおもて往生をとぐ、
いはんや悪人をや」

まずは、この2つの意味をしっかりと
理解することだと感じています。

親鸞上人の教えを自分なりの解釈で
整理しなおしてみるとあらたな発見
もあると思います。

それまで気付かなかった自分の弱さ
を確認でき、まだ表に現れていなか
った強い自分を見つけることにも。

賢明に目の前のことに取り組み、
最善を尽くしたのであれば、
自信と勇気をもって、いっとき

留まってみることも大事なことだと
実感しています。

成果はもう近くに、自らの足元まで
来ているのかもしれません。

等覚一転名字妙覚とうかくいってんみょうじみょうかく」という言葉も
あります。

ひと呼吸して、じっくりと『歎異抄』
と向き合ってみることです。

きっと良い結果に結びつくことと
思います。

ボアソルチ

(追伸)

『歎異抄』は私の心の支えとなった
本のひとつです。

本書によって心を取り戻した後に
実際に事業を進める中で実践的に
支えてくれたのは「合理的思考」
です。

その具体的な考え方は、
問題解決の思考術
の著者である
飯久保廣嗣氏に教えを受けました。

親炙しんしゃの機会を与えて頂き、深く感謝を
しています。

株式会社CSI総合研究所
 
代表取締役 大高英則

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