文学的美質の開花『雪国』川端康成

書評

『国境の長いトンネルを抜けると雪国で
あった。』

これは、本書『雪国』(川端康成)
記されている大変有名な書き出しです。

多くの人の記憶に残っていると思います。

しかし、その後にどのような言葉が綴られ
ていたか、口に出せる人は少ないのでは
ないでしょうか?

『夜の底が白くなった。』

この言葉が私の中では、とても深く心に
残っています。

どこか寂しさを誘う雪国の夜が、
記憶に蘇ってきます。

山あいの風景を自然の振る舞いに
移し替えた「美質な筆跡」が、
心の深奥に折り重なっていきます。

そして、物語は島村、駒子、葉子、
各々の機微な心の揺れ合いの描写が
連綿と続いてゆきます。

人の心の頼りなさ、自然の奥深い慰藉を
感じながら、幾度か読み返してみるのも
良いものです。

人の成長と共に、読後感はきっと、
異なりを見せてくれると思うのです。

複読をお勧めしています。

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本書で学んだ素敵な言葉

もう日が昇るのか、鏡の雪は冷たく燃える
ような輝きを増して来た。

それにつれて雪に浮かぶ女の髪もあざやか
な紫光りの黒を強めた。

本書「雪国」より

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文学的美質を旅先の「自然の悠然さ」と「人の心の機微」に重ねてみる

『遥かの山の空はまだ夕焼けの名残の色が
ほのかだったから、窓ガラス越しに見る
風景は遠くの方までものの形が消えて
いなかった。』

これは、まもなく日が暮れる頃、島村が
なにげなく目をやった車窓の先に見た
風景の描写です。

まるで自分がそこにいるように
錯覚してしまいそうです。

自然の深まりに誘われ、我を忘れて
しまいそうです。

『悲しいほど美しい声であった。
高い響きのまま夜の雪から木魂して
来そうだった。』

島村が車中で耳にした葉子の声、
初めて聞くその声姿に、心が思わず
赴く様子がよく伝わってきます。

「自然の悠然さ」と「人の心の機微」が
こうした形で繰り返されていきます。

物語を読み進めながら、また旅先での経験
も織り混ぜながら、こうした川端文学の
「美質」に触れてみてはいかがですか。

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文学的美質の開花を進めた著者の考え方

『雪国は、川端康成においてその頂上
に到着した近代日本の抒情小説の古典
である。』

これは、本書「雪国について」に
記されている伊藤整の言葉です。

「抒情」とは、感情を述べあらわすという
意味になりますが、真にそう読み手に感じ
させるように感じます。

さらに、次のような表現もされています。

『抒情の道をとおって、潔癖さにいたり、
心理のきびしさの美をつかむという道』

実に、得心の行く表現です。

そして、注目すべきは、以下の表現。

『この作品は、特色ある手法としては、
現象から省略という手法によって、美の
頂上を抽出する、という仕方をする。』

解釈が難しいのですが、これは作者流の
難解さを敢えて漂わせているような、
そんな修辞的余韻を感じさせます。

「美」というものへの執念、執着を
感じさせられます。

島村という人物について、伊藤整が記す
以下の表現はいつまでも私の心の中で、
とても印象深い感覚として残っています。

『駒子のような悲しいまでに真剣な存在、
それよりももっと危険な怖ろしいほど張り
つめた生き方しか出来ぬような葉子のよう
な存在のない所では、島村は空白な無に帰
してしまう。』

生きることに切羽詰まる姿、その美しさと
戸惑い、人間の心の彷徨いを自然美で覆う
作者の物語の進め方。

時を忘れ、そこに身を任せ、ひと時を
過ごしてみるのは、いかがでしょうか。

では、本書の中で私が特に興味を惹かれた
箇所を引用しておきます。

本書に綴られた考え方を知り、自分は
どう考え、どう行動に活すのかを、
ぜひ、考えてみて頂ければと思います。

【引用5選】

❶人物は透明のはかなさで、風景は夕陽の
おぼろな流れでその二つが融けあいながら
この世ならぬ象徴の世界を描いていた。

❷「ああ、見えない。島村さあん。」
それはもうまぎれもなく女の裸の心が
自分の男を呼ぶ声であった。

❸一面の雪の凍りつく音が地の底深く
鳴っているような、厳しい夜景であった。

国境の山々はもう重なりも見分けられず、
そのかわりそれだけの厚さがありそうな
いぶした黒で、星空の裾に重みを垂れて
いた。

すべて冴え静まった調和であった。

❹頭の上は屋根裏がまる出しで、窓の方へ
低まって来ているものだから、黒い寂しさ
がかぶさったようであった。

蚕のように駒子も透明な体でここに住んで
いるかと思われた。

❺葉子を駒子から抱き取ろうとする男達に
押されてよろめいた。踏みこたえて目を上
げた途端、さあと音を立てて天の河が島村
のなかへ流れ落ちるようであった。

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本書に私淑して私が思うこと

『島村はその感覚する「美」の一点に
おいてしか生活していない。』

これは、本書「雪国について」の章
に記された言葉です。

川端康成についての印象は、やはり
「美の追求」にあるように思います。

それは、雄大な自然の風景であったり、
人の織りなす「いきあい」であったり、
と。

私の「せきがくの旅」は、小説から
始まりました。

日本文学、ロシア文学、ドイツ文学、
フランス文学、イギリス文学、
アメリカ文学。

多くの作家の小説を読み進めた中で、
3人の作家を上げるとすると、

レフ・トルストイ
トーマス・マン
川端康成

小説を読み始めたのは、ノーベル文学賞に
興味を持ったからです。

第1回ノーベル賞の第一候補であった
トルストイは落選していますが、
トーマス・マンは、1929年に受賞、
川端康成は1968年に受賞しています。

なぜ、ノーベル文学賞かといえば、
こんな思いがあるからです。

私は、プログラミングが好きですので、
趣味として本業の傍ら続けています。

人生を賭けて作り上げたいものが、
2つあるのですが、その一つが、
小説家養成ツール(仮称)です。

これは、小説の編集用ツールではなく、
小説家を目指すことなど全く考えて
いない文才のある人に、

自身の小説を書く能力に気づいて
ほしいからです。

こんな風に考えれば、小説が出来上がって
いくという小説を書くための支援ツール的
なものをイメージしているのです。

素晴らしい人生経験、人に良い刺激を
与える自身の考え方等を小説に落とし
込んで欲しいと願っています。

そのためには、多くの小説に触れる必要が
あると考え、40年前に「せきがくの旅」
を始めた経緯があります。

夏目漱石の文学論にある「F+f」、
あるいは、辻邦生の言葉の箱にある
「上に行く力と下にいく力」等々、

小説以外にも碩学を積んできました。

話を小説に戻しますと、私が小説に
求めるものは、人と自然の「美」
なのです。

小説家川端康成に惹かれるのは、
そうした理由からです。

本書「雪国」からも多くの「心が揺れる」
筆致を学ぶことができたように思います。

映画やドラマもそうですが、小説は、
読後感が生命線だと思うのです。

読み終えた瞬間、自分が「無」となる
ような孤独感、息が詰まるような感じ、

そして、今自分がどこにいるのか一瞬
わからなくなる、そんな心細さの中で
時が止まった感じに。

刹那の後先、やがて我に返る。

そんな思いに至る物語をイメージしている
のです。

その1つとして、「雪国」の最終行の余韻
に、ぜひ触れてみて頂ければと思います。

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まとめ(「文学的美質」)

今回は、『雪国』川端康成について
お伝えしました。

『川端文学の美質が完全に開花した不朽
の名作である。』

これは本書の表紙裏に記された言葉です。

本書に出会い、「美質」という言葉を
知りました。

「美しい性質」という意味を持つ「美質」
が、この小説のテーマであると知り、
「雪国」が益々大事な小説に感じます。

生きる上で絶えず触れることになる
自然と人。

そこに「美質」を意識して過ごす姿、
とても願わしいことだと思うのです。

その心を大切にし、そして、良い方向に
成長をさせていくことが人生の喜びの
ひとつであるように思うのです。

小説は、そのためにとてもよい
存在だと思っています。

多くのひとに、良き「せきがくの旅」
を続けて欲しいと願っています。

「雪国」の複読、お勧めです!

ボアソルチ。

株式会社CSI総合研究所
 代表取締役 大高英則

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