三層構造をなす未完の書、心を癒やしてくれる『パンセ』

書評

『人間は考える葦である』

この有名な言葉で知られる『パンセ』は、
護教論、理性領域、信仰領域の三層構造
からなる「未完の書」である。


これは、本書『パンセ』(パスカル)で、
訳者前田陽一氏が最初に記した内容です。

読み進める中で突然表出した「未完の書」
この「謎深い表現」に強く惹かれました。

「三層構造をなす未完の書」と言われる
所以とは、その意味を深く知りたい、
思いは、深まっていく、、、

そして、「パンセ」全容を知るべく、
断章347から、私の「せきがくの旅」は
始まったのです。

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本書で学んだ素敵な言葉

人間はひとくきの葦にすぎない。
自然のなかで最も弱いものである。
だが、それは考える葦である。

彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装
するには及ばない。蒸気や一滴の水でも
彼を殺すのに十分である。

だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、
人間は彼を殺すものよりも尊いだろう。

なぜなら、彼は自分が死ぬことと、
宇宙の自分に対する優勢とを
知っているからである。

(断章347より)

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自分を振り返る、その意義の大きさに気づいてほしい

宗教を中心に哲学、道徳、政治、言語を
テーマとしたパスカルの随想録パンセ。

実に多くの人々に読み継がれてきた
遺稿集といえます。

この書のなにが人々を惹きつけたのか、
いかなる思いでこの書を手にしたのか、
読破した人々にも興味が湧きます。

「パンセ」とは、フランス語で「考える」
という意味です。

私は、新たな企画を進める中で、
本書を手元に置いています。

それは、考え、想像し、創造化する営みの
中で、発想の「拠り所」としてではなく、
心を休めるためです。

パンセの中で流れゆく言葉の群れが、
とても心地よく感じるのです。

思考の所在が、私が遠くに求めるものと
どこか時折重なるような気がして。

パンセの中にある、1つひとつの言葉の先
にあるものを確かめながら、心地よい刹那
の時が過ぎてゆきます。

考えに行き詰まったら、考えることを
やめるのではなく、別のことを考える。

あるいは、そうした考え方があるのだと
知るに留め身を委ねることが良いのだと
思うのです。

考えること、想像することが続くと、
心がやすらぎを求めることは屡々しばしば

訳者は、「パンセ」について、
以下のように記しています。

「パンセは、パスカルが計画していた著述
の準備ノートを主体として編纂された未完
の書なのである。彼が構想していたのは、
いかなる書物であったのか。」

その答えを追いながら、読みすすめていく
ことをお勧めします。

現在思考中の頭に、別の興味を同居させる
ことで、新たな熱量が加わり、再び本来の
テーマに集中できることと思います。

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未完の書「パンセ」もう一つの姿に関する訳者の考察

『人間の実相に肉薄する人生論あるいは
モラリスト文学の相貌が浮かび上がるよ
うな書物である。しかし、パンセには、
もう一つの姿がある。』

訳者は、本書の初めの章でこのように
記しています。

パンセが『未完の書』であることを
伝える箇所です。

非常に興味深く感じました。

本書を読み進める目的が、当初はパスカル
のパンセを知る事にありましたが、そこに
新たな興味が加わりました。

以下は、実に印象的な訳者の記述です。

『初版の表題の上部には、完成した教会堂
を中心としてその左右に、建築中の建物と
建物の残骸が描き込まれている口絵が掲げ
られ、それに「事業は中断されたままであ
る」という題辞が添えられている。』

さらに、訳者は、解説を続けます。

『パンセは、パスカルが計画していた著述
の準備ノートを主体として編纂された
「未完の書」なのである。』

以下は、パスカルが構想していたと思われ
る著作についての訳者の考察記述です。

■キリスト教の正しさを積極的に読者に
説得することをめざす著作であった。
(「キリスト教護教論」)

■信仰の必要性と正当性を示唆する。

■人間は真理と正義を渇望しながら、
それを実現できないし、またその渇望
を断ち切ることもできない。

■倦怠から目をそらし、未来に設定した
目標の達成によって幸福を実現しようと
する。

■しかし、幸福になる準備をしている
ばかりなので、決してそこに到達する
ことはない。

■だがこうして人間に付きまとう不幸の
意識は、人間の高貴さの証しでもある。

■人間の惨めさは、それを意識すること
において、偉大さの源となる。

■信仰は神の人間の心への働きかけで
ある「回心」にほかならない。

では、パスカルが構想したと思われる以上
のことを念頭に、私が興味が惹かれた断章
を引用しておきます。

【引用5選】

❶断章一四

自然な談話がある情念や現象を描くとき、
人は自分が聞いていることの真実を自分
自身の中に発見する。

それが自分のなかにあったなどとは知ら
なかった真実をである。

その結果、それをわれわれに感じさせて
くれる人を愛するようになる。

❷断章三五

人から「彼は数学者である」とか「説教
家である」とか「雄弁家である」と言わ
れるのではなく、

「彼はオネットムである」と言われる
ようでなければならない。

❸断章一〇〇

真実を言うことは、それを言われる相手方
にとって有益なのであって、それを言う人
たちにとっては不利である。

なぜなら、自分たちが憎まれることになる
からである。

❹断章一六二

人間のむなしさを十分知ろうと思うなら
恋愛の原因と結果とをよく眺めてみる
だけでいい。

原因は、私にはわからない何かであり、
その結果は恐るべきものである。

この私にはわからない何か、人が認める
ことができないほどわずかなものが、
全地を、王侯たちを、もろもろの軍隊を
全世界を揺り動かすのだ。

クレオパトラの鼻。それがもっと低かっ
たなら、地球の表情はすっかり変わって
いただろう。

❺断章三四七

人間はひとくきの葦にすぎない。
自然の中で最も弱いものである。
だが、それは考える葦である。

彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装
するには及ばない。蒸気や一滴の水でも
彼を殺すのに十分である。

だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても
人間は彼を殺すものより尊いだろう。

なぜなら、彼は自分が死ぬことと、
宇宙の自分に対する優勢とを知っている
からである。宇宙は、なにもしらない。

だから、われわれの尊厳のすべては、
考えることの中にある。

われわれはそこから立ち上がらなければ
ならないのであって、われわれが満たす
ことのできない空間や時間からではない。

だから、よく考えることを努めよう。
ここに道徳の原理がある。

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「パンセ」断章三四七に惹かれる私の思い

『人間は考える葦である』

初めてこの言葉を知ったのは、
いつだったろうか。

時折、この言葉の深淵に、深く存して
みたくなるときがあります。

8行からなる断章三四七。

気持ちが止まる箇所が、その時折によって
異なる。それは、自らの成長を感じるとき
でもあります。

私は元来、「パンセ(考えること)」が、
好きなのだと思います。

例えば、読書。多くの私淑と嬉しい親炙を
経験してきました。

なぜ、その人はそれをテーマにしたのか?
そして、なぜ、そう考えたのか?

自分であれば、こう考える。
そして、こう行動に活かす。

こうした考えを巡らすことが、
好きなのです。

今読み返してみると、「尊厳のすべては、
考えることの中にある。」という言葉に
意識が向きます。

「よく考えることを努めよう。
ここに、道徳の原理がある。」

この言葉に全ては集約されるのだと
思うのです。

今再度「パンセ」を読み終えてみて、
気づいたことがあります。

私がこのブログ「せきがくの旅」を書き
続けている行為は、「考えること」の旅
であるように思います。

多くの人々に私が感動した読書の楽しさ、
「パンセ(考えること)」の尊さを伝え
たいという思いは深まるばかりです。

「パンセ」は、過去、現在、未来に分けて
継続することがなにより大事であり、更に
解決に向けたプロセスを重視すべきです。

現在抱える問題、あるいは将来起こりえる
問題をしっかりと予測する。

次に、過去に原因があるのであれば、当時
の対策の中から相応しいものを選択する。

選択すべき対策がない場合は、新たに対策
を策定する必要がある。

将来問題が起こらないように予防対策を
構築し、場合によっては、起きた場合の
発生時対策を予め考えておく。

以上は、問題解決のためのパンセですが、
もう一つ、新たに作り上げる「価値創造」
のパンセがあります。

まずは、「思考」により新たな価値を
考える。そして、その考えを社会的に
有益なものとすべく「想像」する。

こうした行為によって、「価値創造」に
仕上げることができる。

私は、「問題解決」と「価値創造」の
「パンセ(考えること)」がとても好き
なのですが、後者と向き合っている方が
自分らしさを発揮できると感じています。

どちらの場合も、正しく、建設的に行う為
には、メソッドとプロセスが重要です。

ブログ「せきがくの旅」を通じて、発信を
続けていきたいと思っています。

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まとめ(「パンセ」)

今回は、『パンセ』(前田陽一訳)
について、お伝えしました。

訳者は、「パンセ(フランス語で考える
こと)」について、以下のように少し、
深い意味合いで記しています。

「簡潔な表現に凝縮された思索あるいは、
着想、つまり格言や断章を意味すること
もある。」

「パンセ」は、宗教、哲学、道徳、
政治、言語という広範なテーマで
構成されています。

しかし、訳者が記すように、「パンセ」
は、パスカルの「未完の書」(遺稿集)
です。

パスカル自身の思考過程と内容の全て
は、記されていません。

読む人の経験と考えと、あるいは、
人生観にもよると思いますが、
いろいろな解釈の仕方があるのだと
思います。

もしかしたら、パスカルの壮大な考えは、
本人が構想中であり、この世には存在し
なかったのかもしれません。

一人ひとりが、「パンセ」を手に取り、
パスカルの意志を想像しながら、補い
仮定するしかないのです。

「私のパンセ」として、心に留め置く
ことで良いのだと思うのです。

「パンセ」と向き合ったことに
意味があるのですから。

パスカルの「未完の書」、私は、
それを「永遠の書」として、
手元においています。

ぜひ、皆さんも、思考の旅へ!

ボアソルチ。

株式会社CSI総合研究所
 代表取締役 大高英則

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