人が死を感じるとき『天命(五木寛之)』

書評

『これはまずい、ひょっとしたら死ぬかも
しれないと思ったことが、私には何度かあ
りました。』

これは、本書『天命』(五木寛之)
に記されている著者の言葉です。

それは、実に印象に残る言葉でした。

著者は、次のように思いを綴っています。

『死をどう受け入れ、どう乗り越えなけれ
ばならないかという問題は、これまでずっ
と私の人生のなかでも最大の、そして最終
的な問題と言ってもよいものでした。』

人は、死について考え、一旦忘れて、また
あるきっかけで考える、その繰り返しを続
けているのではないでしょうか。

こうしたテーマは、人と話す機会がない
ので、実際のところはわからないのです
が少なくとも私はそう考えています。

「死」をテーマにした本書を手にした瞬間
著者の考えを辿ってみたくなったのは、
自然なことであったように思います。

死を一瞬忘れ、考えずに過ごすのは、
ある種の知恵であるのかもしれません。

著者「五木寛之」氏の「死生観」を辿って
みることは、人生を歩むうえで、良い経験
になったように感じます。

本書は以下の章で構成されています。

・天命
 人が死をかんじるとき
 祈りと死
 浄土という場所
 天命について
・生と死をめぐって
 長い生と死
 死は、前よりしも来たらず
 人間の悲惨について
 見えない世界・見えないことば

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本書で学んだ素敵な言葉

『いま私がつくづく思うのは、人生の最後
の幕を安らかに引くことが、どれほど大事
かということである。』

本書「あとがきにかえて」より

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限られた人生をこころから見つめ、そして深めてほしい!

『死を受容するという行為も、生きると
いう生命の意志、本能がなせる行為なの
ではないか』

これは、著者のこころの内をよく表わして
いるように思うのです。

「死を受け入れる」ということは、
「受け入れることができる」ということは
こころから生きた結果の境地のように
感じるのです。

「こころから生きる」とは、
天命を知ることであるように感じます。

著者は、次のような意味深い言葉を
記しています。

『天命にしたがう、というより、
天命によって生きるという感覚なのだ』

そして、天命を生きるとき、人間には
宗教が必要だろうと説いています。

その理由は、以下の言葉にあらわれて
います。

『暗い夜道を照らす月の光、また遠くに
見える人家の明かり』

天命を生きることが人生を深めることで
あり、その先にある達成感のような思い
から、こころの安堵が生まれる。

そうした状態に至れば、死を受け入れる
ことができるかもしれない、

そういうイメージを持っています。

「死」について、「生」について、
そして、「天命」について、
繰り返し、繰り返し考えていくことが、
人間の価値観になるように思います。

これは、私の人生観なのですが、
本書に私淑して、その思いは、さらに
広がったように感じています。

限られた人生をこころから見つめ、
そして深めてほしい!

人生を生き抜くために、楽しく歩むために
本書をぜひ、一読して頂ければと、
心からそう願っています。

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死生観と天命を繋ぐ著者の考え方

『幸福な人生とは、一体どういうものだろ
うか。人によって考えかたは、さまざまだ
ろう。しかし、いま私がつくづく思うのは
人生の最後の幕を安らかに引くことが、ど
れほど大事かということである。』

これは、本書「あとがきにかえて」の章に
記された著者の言葉です。

実に、得心の行く言葉である。

如何なる人生を過ごせば、幕を安らかに
引けるのか。

それは、向かうべき先が定まり、そこに
到達できた際の満足感がそうさせるのか。

しかし、そこに辿り着けたからといって
その境地に至れる保証はない。

著者は、そんな私の疑問に対して、
以下の言葉を記してくれていました。

『夜、眠りにつくときには、今日一日の
命をありがとうございます、と天に感謝
するのである。そして、

こころのなかで、「ナームアミータ」と
つぶやく。その気持ちは、天命に帰依し
ますという感覚である。』

本書に繰り返し綴られた感じる、感覚と
いうことばの意味が、深く深くこころの
深奥に折り重なっていきます。

著者の「死生観」が伝わってきます。
「天命」ということばを伴って。

そして、以下の著者のことばを繰り返し
口にすることで、理解は深まります。

『天命、という文字を目にした瞬間、
なにかビビッとこころに感じるものが
あるかどうかなのだ。

いま、その感覚がなかったとしても、
天命ということばを頭の隅にとどめて
おけば、人生のどの地点かでかならず
つよい力で蘇ってくるに違いない。』

ぜひ、本書を読み進め、著者の死生観
と人生観を味わって頂ければと願って
います。

では、本書の中で私が特に興味を惹かれた
箇所を引用しておきます。

本書に綴られた考え方を知り、自分は
どう考え、どう行動に活すのかを、
ぜひ、考えてみて頂ければと思います。

【引用5選】

❶ 浄土と言う場所

仏教は、この世はすべて何事も長続きせず
絶えず移ろいゆくという「無常感」が根本
思想になっています。

人間がいなくなっても、それは人間の消滅
ではない、生命の消滅ではない、それはま
たひとつの流れのなかにはいって流れゆく
のだと私は考えます。

❷祈りと死

絶望のなかでは、人は生きられません。

生きようという意思が強い人ほど、死の
受容という方向へ向かうのではないか、
と私は思います。

❸見えない世界・見えないことば

この目に見えない世界を実感することが
じつは宗教というものの出発点であろう
と思います。

目に見える世界、目に見えない世界、
この世にはそのふたつの世界がある。

目に見えることば、目に見えないことば、
その両方がわかるような人間でありたいと
思うのです。

❹天命について

天とは、天地自然万物の存在のすべてを
つらぬくエネルギーであり、目に見えない
意志のようなものだと感じています。

天命とは、天の命令ではない。自然に生き
るというだけのことでもない。天の法則に
したがうというようなことでもない。

天命を生きる、という言い方が、もっとも
自然なように感じられます。

自分のこの体に、手にも、足にも、髪の毛
にも、爪にも、天の命が生きています。

その命が尽きるとき、私たちはこの世を
去る。

❺長い生と死

仏教ではよく「自利利他」ということを
いう。自分の悟りを追求するだけではだめ
だ、ということだろう。

自利とともに他を利することがともなって
菩薩行となるわけだ。経を読むというのは
利他行である。

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本書に私淑して私が思うこと

『天命を生きる』という著者の主張が、
人生を生き抜く支えとなってくれたよう
に感じています。

本書に私淑を始めて、すぐ目に入ってきた
のは、以下の言葉でした。

『ひょっとしたら死ぬかもしれない、と
思ったことが私には何度かありました。』

実は、私もそうした「終わり」を感じた
経験があります。

帯広の真っすぐな道路を車で走り続けて
いたときです。突然、目の前に大きな、
白い滝が現れたのです。

完全に眠りに落ちた瞬間でした。しかし
同時に滝が、私の命を繋ぎとめてくれた
のです。

「まだ、すべきことがあるだろう!」

そう滝が声をかけてくれたように
感じています。

それは、私の心の声だったのかも
しれません。

それが、「天命」というものに通じるのか
どうかはわかりませんが、私にとって、
「死」と「天命」が私の中で同居しはじめ
たきっかけといえます。

著者は、本書で「天命」に関して、敢えて
分析や考証をしなかったと記しています。

「天命」ということを感覚として体感して
欲しい故のことのようです。

その意味は理解できるように思います。

生きた自分自身の感覚で、「天命」を理解
し、「死生観」を築き上げていきたい、
そう深く思うようになりました。

良き、私淑の時間、「せきがくの旅」を
過ごすことができました。

自分の生き方を見つめてみる良い機会に
なりました。お勧めです。

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まとめ(「天命」)

今回は、『天命』(五木寛之)について
お伝えしました。

『死の恐怖を抱きながら日々を生きること
は難しい。だから私たちはそれを忘れる。
あるいは見ないですますという知恵をはた
らかせてやりすごす。』

これは、本書に記された著者の言葉です。

実に、意味深い言葉です。

死を忘れ、今を生きる。
しかし、その間、確実に死へと近づく。

日常、死生観を考える機会は非常に少ない
と思います。

身近な人が亡くなったとき、自分の残され
た時間を想うことがあると思います。

どう生きるかということを考える機会に
なることもあると思います。

「死はこわくない」というトルストイの
根拠をなんども繰り返し、心の中で唱えた
時期がありました。

どう生きたいのか、
どう死を迎えたいのか、

このことを考える時間をもつことは、
とても大事なことのように思います。

限られた人生なのですから。

私は、こう思うのです。

やりたいことが見つかることは、
幸せなことです。

まだ、見つからなかれば、
一途に探せばよい。

そして、見つかれば、
実現に向けて歩めば良い。

願い通りにことが進めば、
その達成感を味わい、喜べばよい。

たとえ、実現できなくても、
悔やむことはない。

目標を定めることができ、そこに向かって
挑戦する勇気を持つことができたのだから

それが、生きることであり、
その結果が、人生を閉じる時であろうから

そのときは、きっと心は豊かな状態である
と思うのです。

私は、本書を読み進めながら、こうした
思いで心が満たされたように思います。

本書を手に取り、ご自身の人生観を
確かめてみることをお勧めします。

ボアソルチ。

株式会社CSI総合研究所
 代表取締役 大高英則

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