未知のものに心惹かれていく『人生論ノート』

書評

『旅は未知のものに引かれてゆくこと
である。』

これは、本書「人生論ノート」(三木清)
「旅について」の章に記されている言葉
です。

私にとって「旅」は、特別な思いがある故
晦渋の文章が続く中で、この言葉は迷わず
深奥にしっかりと納まったのです。

本書の23章の中では、「死について」、
あるいは、「幸福について」を最初に読む
のが通例なのかもしれません。

しかし、私は、先に述べた理由から、
「旅について」から入っていきました。

そして、ここまでの人生を幾つかの転換点
と特異点に分け、螺旋状的に振り返ること
ができました。

あらためて私の人生は、「要所要所に意味
があったのだ」と、心から想いを深めるこ
とができたのです。

他人には分からぬ、私だけが感じ得ていた
オモイ。

それには理由があったことを本書と向き合
うことで得心できたように思います。

ぜひ、心が自然に同化していく章から、
読み進めて頂きたいと思います。

「お勧めの一冊」として、ご紹介します。

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本書で学んだ素敵な言葉

旅はすべての人に多かれ少なかれ
漂泊の感情を抱かせるのである。

(三木 清)

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人生、将来に思いを馳せるべき時を迎えた方へ

『死は、観念である。』

『生とは、想像である。』

『幸福は、人格である。』

これらの言葉は、本書の「死について」、
あるいは「幸福について」の章で、重く
存在感を感じさせる「言の葉」です。

人生においては、「死と幸福」について
考える時期が訪れることでしょう。

その時期は、ひとそれぞれ。

そこを過ぎてはじめて、心から辛苦を
分かち合える友として、互いに思いを
共有できていくのだと思います。

しかし、人生においては、ひとりで
考え続けるべき時が必要です。

その際に、心の指針として、また支え
として、一冊の本があると救われます。

人生、将来に思いを馳せるべき時が
必ず訪れてきます。

そのときには、
ぜひ、この言葉連を心の隅々まで響くよう
意識を深めて欲っしてほしいのです。

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命を賭して記した著者の深い思い

『人に代わって三木は命を賭して表現する
ことに専念したのである。』

これは、本書『人生論ノート』の解説で、
哲学者岸見一郎氏が語っている言葉です。

何故に、著者は晦渋な書き方をし、
レトリックを駆使した際どい書き方を
せねばならなかったのか。

岸見氏は、その理由を縹緲たる表現で
こう伝えている。

「三木は思いを胸に秘めつつ物いわぬ、
あるいはいえない人を植物に譬えている
ように読める。」

三木清は、治安維持法違反で検挙され、
1945年9月26日拘置所で獄死。

日本が無条件降伏をした8月15日から
約一か月後のことであった。

哲学者久野収氏の次の言葉も三木清の
文体の理由を表わしているといえる。

「三木は死ななくてもよい命を落とす
結果になった」

そして、再び岸見氏のこの言葉が、
痛く心に沁みてきます。

「遠い過去ではなく、現代の日本で三木
を始め多くの人が思想犯として自由と、
さらに命を奪われたことに私は強い衝撃
を受けた。」

命を賭して執筆に向かった著者の思いは
いかほどであったことか。

言葉は、人類の発展に欠かせないもの。
言葉によって慮ることを知り、想像が
磨かれ、人を思いやる心が生まれる。

それが統制され、さらには粛清までも
成された時代があったということ。

著者はそうした時代に巻き込まれながらも
必死の筆致で戦っていたと思うのです。

その闌けた慧眼に、ただただ畏敬の念を
抱くばかりです。

一度読んだだけでは、真意の深さを理解で
きず幾度となく読み返すことに。

しかし、その先に見える景色は、とても
感動的です。

ぜひ、お勧めしたい一冊です。

では、本書の中で私が特に興味を惹かれた
記述を引用しておきます。

【引用5選】

❶死について
近頃私は死というものをそんなに恐ろしく
思わなくなった。

死は観念である。それだから観念の力に頼
って人生を生きようとするものは死の思想
を掴むことから出発するのがつねである。
すべての宗教がそうである。

❷幸福について

愛するもののために死んだゆえに彼らは
幸福であったのではなく、反対に、彼等
は幸福であったゆえに愛するもののため
に死ぬる力を有したのである。

生とは想像である。

鳥の歌うがごとくおのずから外に現れて他
の人を幸福にするものが真の幸福である。

❸健康について

健康の問題は人間的自然の問題である。
というのは、それは単なる身体の問題
ではないということである。

健康には身体の体操と共に精神の体操
が必要である。

健康というのは平和というのと同じで
ある。そこにいかに多くの種類があり
多くの価値の相違があるであろう。

❹仮説について

考えるということは過程的に考えること
である。過程的な思考であって方法的で
あることができる。

仮説という思想は近代科学のもたらした
おそらく最大の思想である。

❺旅について

旅はすべての人に多かれ少なかれ漂泊の
感情を抱かせるのである。

我々が旅の漂泊であることを身にしみて
感じるのは、車に乗って動いている時で
はなく、むしろ宿に落ち着いた時である。

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未知のものに惹かれ旅立ち、そして終えた今思うこと

『旅において出会うのはつねに自己自身
である。』

これは、本書「旅について」の章に記さ
れた著者の言葉である。

旅は、いろいろな目的を持って始まる。
それが必然かどうかは別として、また
計画的か、突発的かもそれぞれに。

私は、セミナーと研修の講師として、
日本全国全都道府県を旅しました。

それは、この旅で新たなステージに
昇り詰めるという野心を含めた覚悟
の旅でもありました。

台風で石垣島着陸もありと言われる中、
那覇空港に最終便で向かい、吹雪の中
なんとか着陸できた千歳空港、等々。

強行スケジュールで駆け抜けた日々。
目まぐるしく流れ去った日々。

心身共に極度の疲労を感じながらも、
最後までやり遂げたからこそ見れた
景色は、今もしっかりと心の襞に。

長旅で多くの人たちと接した
この貴重な体験の中で、いったい
何を得ることができたのか。

本書を読み進める中で、あらためて
考える機会を得ました。

忙しく頭と身を動かす日々の中で、
そうした時間を持てたことも
貴重な経験といえます。

「旅において出会うのは自己自身」

この著者の言葉が心に沁みます。

旅は、多くの人との出会いがあり、
自然とも向き合い、そこから多くの事を
学ぶことになります。

それは、それまで気付けなかったもう
一人の自分との出会いでもありました。

そして、私の旅にはもうひとつ嬉しい
出会いがあります。

長旅の中、いつも数冊の本が時間を共に
過ごしてくれました。

私の読書の仕方は、以下の3つです。

著者は、なぜそれをテーマとしたのか?
著者は、それをどう考えたのか?
自分は、どう考え行動に活かすのか?

著者の考えに刺激を受け、自分を見つめる
ことで新たな自分を発見する。

向き合う先は、自己自身にあった、
今はそう感じています。

旅は、まだまだ続きます。

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まとめ(「自己自身」)

今回は、『人生論ノート』(三木清)
についてお伝えしました。

本書においては、なんといっても2つの
言葉が印象深く、それは、その後心を離
れることはなくなりました。

・死は観念である。

・生は想像である。

著者が伝えるこうした言葉が背負う真意
が知りたくて、幾度となく読み返して
きたのです。

その意味合いは、目にする都度変わって
きたように思います。

それは、自分自身が成長するとともに、
時と共に重ねる経験から自分の思いに
変化が生じていたのかもしれません。

本来の「自己自身」に触れたのかも
しれません。

本書「人生論ノート」においては、
「死について」、「幸福について」から
読まれるのが、一般的なのだと思います。

しかし、私は何かに惹かれるままに、
「旅について」の章から読み進めました。

そして、最後にまたこの章を読み返して
みたくなったのです。

それは、この1行にもう一度触れてみたい
という強い思いに駆られたからです。

『旅において出会うのはつねに自己自身
である。』

私が「人生論ノート」から得たのは、
「自己自身」とのふれあいでした。

本書の23章は、読み手によってその響き
は異なってくるのだろうと思います。

各々の経験と目標によって、様々に。

ぜひ、繰り返し、気になる章から
読み進めてみて頂ければと思います。

きっと新たな自分を見出せると思います。
私がそうであったように。

ボアソルチ。

株式会社CSI総合研究所
 代表取締役 大高英則

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