夕刻の神社(美穂神社)
松明の明かりと共に、
薩摩琵琶の音に導かれ、
その歌は始まった。
曲名は、『想い初めさえしなければ』
直接お会いしたことはありませんが、
少しだけ関連性を持たせて頂いている
「小椋佳」さんの曲です。
室町時代、
「梁塵秘抄」(リョウジンヒショウ)
と共に親しまれた
「閑吟集」(カンギンシュウ)
そこから言葉を拾い、
綴ってみたとのことでした。
薩摩琵琶の音色と閑吟集の言葉の連綿、
暗がりの中に時空が遡るような
不思議さが漂う。
そして、少し現実離れした思いに。
以来、仕事に追われ疲れを感じる度に、
この「閑吟集」(浅野健二校注)を
手に取り、
小椋佳さんがされたであろう姿を
想像しながら捲っています。
心を癒された閑吟集の言の葉
『思ひ初めずは紫の
濃くも薄くも物は思はじ 』
束の間の癒しを求める方へ
一気に事業の領域を広げた結果、
仕事に追われ、人との係わりに疲れ、
少しの間、環境を変えてほっとしたい!
そんな思いになったこと、ありませんか?
✅とにかく頭を休めたい!
✅気分転換をしたい!
✅一時、違うことを考えたい!
✅心が穏やかになれる環境に触れたい!
✅これまで経験のない世界を知りたい!
私は、たまたま知り合いの誘いで
コンサートにでかけ、そのときに
千年前の歌謡の世界を知りました。
神社でコンサート?
意外性の中には、なにかがあるものです。
それまで全く縁のなかった室町歌謡、
言葉の響きと意味の重なりに
聞き入りました。
夕刻の神社と薩摩琵琶、そして
「閑吟集」から生まれた
小椋佳さんの曲
『想い初めさえしなければ』
それまで知らなかった世界に浸り、
新しく動き始めた自分を感じました。
小椋佳さんと「閑吟集」の関係は
後程お話します。
意外性に期待を込めて、
続きを読み進めてみませんか?
著者の校注を頼りに閑吟集二歌を味わう
❶『思ひ初(そ)めずは紫の
濃くも薄くも物は思はじ 』
著者の校注で最初に目に留まったのが
この歌です。
校注はこんな感じで始まります。
◎「いっそ思いそめさえしなければ、
紫の色(または紫草)のように、
濃くも薄くも深くも浅くも
物思いなどしないでしょうに」
と、恋の悩みを縁語で巧みに
まとめたもの。
更に、こう続きます。
「濃くも薄くも」は染料の濃淡に
物思いの濃淡を掛ける。
想い初めに染めを掛け、
次の紫の語を導く。
いかがでしょう?
この著者の校注の先にある歌の深い
意味合いを味わってみてください。
小椋佳さんの曲を思い出しながら
閑吟集を読み進める中で、
次に目にとまった歌があります。
❷『春過ぎ夏闌(た)けてまた
秋暮れ冬の来るをも
草木のみただ知らするや
あら恋しの昔や
思ひ出は何につけても』
世阿弥作と伝えられる謡曲
「俊寛」の一節。
この章句は鬼界が島の配所にあって
俊寛が平康頼や藤原成経と共に、
都のことを懐かしく回想する場面。
独立した歌謡としてみれば、今は疎くなっ
て久しい人を思い出して、楽しかった昔を
追想する趣ともとれよう。
校注は続きます。
起筆は、「かくて春過ぎ夏闌けぬ、秋の
初風吹きぬれば、星合の空を眺めつつ、
天のと渡る梶の葉に、思ふ事かく
比れなれや」(平家・巻一・祇王)
◎「春が過ぎ、夏も深まり、また秋が
暮れて冬が訪れる。この季節の移り変り
を知らせてくれるのは、ただ草や木の色
だけだ。ああ恋しい昔よ。思い出という
ものは、何につけても懐かしいものだ。」
この歌からも小椋佳さんは、
言葉をいくつか拾われています。
閑吟集から私が感じた言葉のポテンシャル
言葉というのは不思議で、時代により、
国、地方により表現方法が異なり、
心の持ちようで、その伝わり方は違う。
『想い初めさえしなければ』
この言葉に惹かれて、閑吟集を捲り、
その原型は、『思ひ初(そ)めずは』
であることを知りました。
私が『問題解決の思考術』を求めて親炙
した飯久保廣嗣氏から、
「神田紘爾(こうじ)という人を
知っていますか?」と聞かれた。
初めて聞く名で、
当然知りませんと返事をすると、
では、「小椋佳は聞いたことが
あるでしょう!」と。
小椋佳さんは、飯久保氏のご友人
だったのです。
小椋佳さんとお話はしたことがない
のですが、少し身近に感じました。
そんなこともあり、ますます
閑吟集に興味を持ちました。
言葉が人を結び、時代を結ぶ、
そのように思うのです。
閑吟集が小椋佳さんを惹きつけ、
そこから1つの曲が生まれる。
その曲を聴いた人が、室町歌謡の世界に
惹かれ、心が癒されていく。
私がそうであったように。
『思ひ初(そ)めずは紫の
濃くも薄くも物は思はじ 』
「思い始めなければ、こんなに辛い思いを
せずにすんだものを」
と思う心と、
「思い始めたからこそ、この高鳴る胸の
熱さを知ることができた」
と思う心。
私は後者の心でいたい!
と、そのように思うのです。
室町歌謡の言の葉が一枚、時空を超えて
折り重なり、疲れた心を癒してくれます。
新たな高みを目指すために
「閑吟集」(浅野健二校注) には、
祝言4首、諷刺6首、述懐35首、自然
35首、恋202首が納められています。
単なる四季の景物や客観的な事物を
示す名詞のみではなく、もっと内容的
な思ふ、恨み、添ふ、忍ぶ、待つ等
抒情的に卓越する語彙にまで及んで
いると解説にあります。
日常生活の中では接することのない
室町時代の言葉群に、暫し
触れてみることをお勧めします。
時には思い切って普段と異なる
環境に出向いてみると良いです。
夕刻の神社、室町時代の歌謡集、
琵琶奏者、小椋佳さんの詩。
私は、こうしたそれまでに経験した
ことのない世界に癒されて、
今新たな高みを目指しています。
疲れを感じた時の心の置き所の1つ
として、室町歌謡を捲ってみては
いかがですか?
小椋佳さんが閑吟集を捲る姿を
イメージして、
私が時を遡ったように。
ボアソルチ!
株式会社CSI総合研究所
代表取締役 大高英則
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