夕刻の神社(美穂神社)
松明の明かりと共に、
薩摩琵琶の音に導かれ、
その歌は始まった。
曲名は、『想い初めさえしなければ』
直接お会いしたことはありませんが、
少しだけ関連性を持たせて頂いている
「小椋佳」さんの曲です。
室町時代、
「梁塵秘抄」(リョウジンヒショウ)
と共に親しまれた
「閑吟集」(カンギンシュウ)
そこから言葉を拾い、
綴ってみたとのことでした。
薩摩琵琶の音色と閑吟集の言葉の連綿、
暗がりの中に時空が遡るような
不思議さが漂う。
そして、少し現実離れした思いに。
以来、仕事に追われ疲れを感じる度に、
この「閑吟集」(浅野健二校注)を
手に取り、
小椋佳さんがされたであろう姿を
想像しながら捲っています。
心を癒された閑吟集の言の葉
『思ひ初めずは紫の
濃くも薄くも物は思はじ 』
束の間の癒しを求める方へ
一気に事業の領域を広げた結果、
仕事に追われ、人との係わりに疲れ、
少しの間、環境を変えてほっとしたい!
そんな思いになったこと、ありませんか?
![](https://otaka-blog.com/wp-content/uploads/2021/12/sunset-g8c4e81d90_1920-1024x683.jpg)
✅とにかく頭を休めたい!
✅気分転換をしたい!
✅一時、違うことを考えたい!
✅心が穏やかになれる環境に触れたい!
✅これまで経験のない世界を知りたい!
私は、たまたま知り合いの誘いで
コンサートにでかけ、そのときに
千年前の歌謡の世界を知りました。
神社でコンサート?
意外性の中には、なにかがあるものです。
それまで全く縁のなかった室町歌謡、
言葉の響きと意味の重なりに
聞き入りました。
夕刻の神社と薩摩琵琶、そして
「閑吟集」から生まれた
小椋佳さんの曲
『想い初めさえしなければ』
それまで知らなかった世界に浸り、
新しく動き始めた自分を感じました。
小椋佳さんと「閑吟集」の関係は
後程お話します。
意外性に期待を込めて、
続きを読み進めてみませんか?
著者の校注を頼りに閑吟集二歌を味わう
❶『思ひ初(そ)めずは紫の
濃くも薄くも物は思はじ 』
著者の校注で最初に目に留まったのが
この歌です。
![](https://otaka-blog.com/wp-content/uploads/2021/12/panoramic-landscape-g27c38aa66_1920-1024x396.jpg)
校注はこんな感じで始まります。
◎「いっそ思いそめさえしなければ、
紫の色(または紫草)のように、
濃くも薄くも深くも浅くも
物思いなどしないでしょうに」
と、恋の悩みを縁語で巧みに
まとめたもの。
更に、こう続きます。
「濃くも薄くも」は染料の濃淡に
物思いの濃淡を掛ける。
想い初めに染めを掛け、
次の紫の語を導く。
いかがでしょう?
この著者の校注の先にある歌の深い
意味合いを味わってみてください。
小椋佳さんの曲を思い出しながら
閑吟集を読み進める中で、
次に目にとまった歌があります。
❷『春過ぎ夏闌(た)けてまた
秋暮れ冬の来るをも
草木のみただ知らするや
あら恋しの昔や
思ひ出は何につけても』
世阿弥作と伝えられる謡曲
「俊寛」の一節。
この章句は鬼界が島の配所にあって
俊寛が平康頼や藤原成経と共に、
都のことを懐かしく回想する場面。
独立した歌謡としてみれば、今は疎くなっ
て久しい人を思い出して、楽しかった昔を
追想する趣ともとれよう。
校注は続きます。
起筆は、「かくて春過ぎ夏闌けぬ、秋の
初風吹きぬれば、星合の空を眺めつつ、
天のと渡る梶の葉に、思ふ事かく
比れなれや」(平家・巻一・祇王)
◎「春が過ぎ、夏も深まり、また秋が
暮れて冬が訪れる。この季節の移り変り
を知らせてくれるのは、ただ草や木の色
だけだ。ああ恋しい昔よ。思い出という
ものは、何につけても懐かしいものだ。」
この歌からも小椋佳さんは、
言葉をいくつか拾われています。
閑吟集から私が感じた言葉のポテンシャル
言葉というのは不思議で、時代により、
国、地方により表現方法が異なり、
心の持ちようで、その伝わり方は違う。
『想い初めさえしなければ』
この言葉に惹かれて、閑吟集を捲り、
その原型は、『思ひ初(そ)めずは』
であることを知りました。
![](https://otaka-blog.com/wp-content/uploads/2021/12/nature-g99e156780_1920-1024x683.jpg)
私が『問題解決の思考術』を求めて親炙
した飯久保廣嗣氏から、
「神田紘爾(こうじ)という人を
知っていますか?」と聞かれた。
初めて聞く名で、
当然知りませんと返事をすると、
では、「小椋佳は聞いたことが
あるでしょう!」と。
小椋佳さんは、飯久保氏のご友人
だったのです。
小椋佳さんとお話はしたことがない
のですが、少し身近に感じました。
そんなこともあり、ますます
閑吟集に興味を持ちました。
言葉が人を結び、時代を結ぶ、
そのように思うのです。
閑吟集が小椋佳さんを惹きつけ、
そこから1つの曲が生まれる。
その曲を聴いた人が、室町歌謡の世界に
惹かれ、心が癒されていく。
私がそうであったように。
『思ひ初(そ)めずは紫の
濃くも薄くも物は思はじ 』
「思い始めなければ、こんなに辛い思いを
せずにすんだものを」
と思う心と、
「思い始めたからこそ、この高鳴る胸の
熱さを知ることができた」
と思う心。
私は後者の心でいたい!
と、そのように思うのです。
室町歌謡の言の葉が一枚、時空を超えて
折り重なり、疲れた心を癒してくれます。
新たな高みを目指すために
「閑吟集」(浅野健二校注) には、
祝言4首、諷刺6首、述懐35首、自然
35首、恋202首が納められています。
単なる四季の景物や客観的な事物を
示す名詞のみではなく、もっと内容的
な思ふ、恨み、添ふ、忍ぶ、待つ等
抒情的に卓越する語彙にまで及んで
いると解説にあります。
![](https://otaka-blog.com/wp-content/uploads/2021/12/viewpoint-gd33f84e13_1920-1024x683.jpg)
日常生活の中では接することのない
室町時代の言葉群に、暫し
触れてみることをお勧めします。
時には思い切って普段と異なる
環境に出向いてみると良いです。
夕刻の神社、室町時代の歌謡集、
琵琶奏者、小椋佳さんの詩。
私は、こうしたそれまでに経験した
ことのない世界に癒されて、
今新たな高みを目指しています。
疲れを感じた時の心の置き所の1つ
として、室町歌謡を捲ってみては
いかがですか?
小椋佳さんが閑吟集を捲る姿を
イメージして、
私が時を遡ったように。
ボアソルチ!
株式会社CSI総合研究所
代表取締役 大高英則
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