寄る辺なきこそが無常感『ありのままの自分に気づく』

書評

いつも考えている。
自分にできることを。
しかし、なかなか思うように進まない。

また、立ち止まる。

混沌とした日々、思いつめるのみで、
時間だけが確実に過ぎてゆく。

なんとかしたいが、なんともできず、
ただただ、自分の無力さに心が沈む。

もうこの窮愁きゅうしゅうも先端に達する頃、
ほそぼそってゆく心の先に
現実を諭す言葉が彷徨さまよう。

”わりなき思い”が、
深く、重く、胸に沈んでゆく。

自分の力では、
どうすることもできない現実、
涙が止まらない。

しかし、諦めることはできない。
なんとかしたい。

『自己存在が』無根拠だということ。
この「
なき」こそが、「無常」
ということなのです。(南直哉じきさい師)

この言葉の真意がこんなふうに、
綴られています。

「自分の存在(必要とされている)の
必要性や根拠は示すことができない。
それはよりどころがなく、
はかないもの。」

そう簡単に解決できるものではなく、
現実を受け止めることの難しさを
受け入れることでしかないという。

「解決に向けて目指すべき到達点は、
ここにある」と確信し、そこに向け
全力で突き進む、直進的な生き方。

自ら見出した解決策、間違いはない!

しかし、果たしてそれで良いのか?
それは他者の幸福をおもんぱかっての行いか?
独り善がりではあるまいか?

人の心を第一義とし、合理的思考を
支えに決断し、断行してきました。

合理的思考を習得するために、
問題解決の思考術の著者である
飯久保廣嗣氏に親炙しんしゃしました。

そして、もっと根源的な、心を軸とした
自然の流れに順ずるような根拠が必要で
あるのだとかたくなに信じていました。

しかし、本書『ありのままの自分に
気づく』(小池龍之介)において、
著者はこう結論付けています。

「まったくその通りだと同意してくれ、
自分が確信の持てるような形で自分の
根拠を
えることができるのかというと
それはできない。根源的にできない。」

『根源的にできない!』

心の深奥しんおう辿たどるとすれば、

いつも考えている。
今、自分にできることを。
しかし、なかなか思うように進まない。

ただただ、安堵あんどを一心に願うばかり。
解決できぬ無力さに沈む。

根源的にはできないということが、
本来自然じねんの摂理ということであろうか。

否、自らの心に素直でありたい。
自らの思いと可能性を信じてみたい。

自分の生き方に迷いを感じる度に、
幾度でも手にしたい一冊です。

ありのままの自分を見つめるために。

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本書で学んだ素敵な言葉

素の自分に気づかないまま、
自分の弱さを素直に受けられないために
孤独感や
渇愛かつあいが増してくるのです。

いちばん大切なのは、
ありのままを受容すること。

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『寄る辺なさ』故に不安を感じている方へ

一途な思いでひたすら前に。

問題解決の為に、心の支えとなるために、
ダイナミックに突き進む。

頼もしき行動力。

しかし、人の気持ちは、繊細なものです。
振り返ってみれば、誰もいない。

何のために、一人で歩いているのか。

もし、こうした状況になったとしたら、
肩の力を抜いてほしいのです。

『解決に続く道は、一つではない』
と、そう思うのです。

人との関係性の中で解決できることは多く
もっと人に頼っても良いと思うのです。

無理を前提とした解決策は、
解決できても安堵にはほど遠いもの。

あぁ、そうなんだ。
そういう解釈、解決策もあるのだな。

そんなふうに、心を軽くしてみることも
大切なのだと思うのです。

困ったとき、辛い時には、一人で抱える
のではなく、もっと頼って良いのだと、
そう思うのです。

ありのままの自分に気づくことで、人生に
広がりを感じることができます。

私も多くの方々に支えられてきました。
だから、今、こうしてここにいます。
次は、少しでも力になりたいのです。

本書には、心を豊かにしてくれる力を
感じます。

「ありのままの自分に気づく」ことの
喜びを知って欲しいのです。

お勧めの一冊です!

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心の問題を克服していく著者の考えと術

「安らかな気持ちで過ごすことが、
なぜ、こんなに難しくなったのか?」

「社会の中で生きていくことが、
なぜ、こんなに不安にさせるのか?」

この問題提起から著者の救いの言葉は
始まります。

そして、その理由が語られます。

「それは、他人の眼を気にしすぎ、周囲か
らの承認を求めすぎるからなのです。」

さらに続きます。

「素の自分に気づかないまま、自分の弱さ
を素直に受けられないために孤独感や渇愛
が増してくるのです。」

「いちばん大切なのは、ありのままを
受容すること。」

本書は、心に余裕をも持って生きるには
どうすればいいかというテーマについて
仏教の経典や諸分野の書物をもとに、
克服する術を伝えてくれます。

こうあるべきだ、そのために、こう努力
すべきで、決して諦めてはならない!

有愛うあい」から解放されることが必要であり
そして、力を抜き、ありのままの自分を
確認し、信じることだと。

「有愛」を否定するのではなく、時には
解放されて心を癒す時間を持つことが
必要なのだと理解できます。

では、本書でぜひ紹介したい教えを
少し引用しておきたいと思います。

【引用5選】

(1)普遍的な視点からの承認

「私はこう思う」だけではたりない。
「私を含めた我々」という普遍的な視点
から自分が承認されないといけない。

(2)物事を捻じ曲げて見せる考え

物事をありのままに中立的に見ることに反
した、偏っている、主観的な四種のものの
見方を仏教では「四顛倒してんどう』という。

無常を常、苦を楽、無我を我、不浄を浄と
思い込む私たちの脳に内蔵された歪みを言
い表わす。

(3)主観は自分で書き換えられる

物事は主観が決めていてそれが主観である
からには自分で書き換えることができる。
ただし、事実に即して、真理に即した形で
主観を書き換える、そのことによって、
心の平安を得ることができる。

(4)心に余裕を持っていきる

自分の感情に対しての態度として適切なの
は、ただ気づいておき、見届けてやること
です。

感情とは、すこぶる無我なものであり、
どのみち変化してゆくもの、この感情も、
やがては変化する。

一時的なもの、無常なものという思いで
執着せず、ただ変化を眺めてみる。

(5)無常・苦・無我に気付づく

心が作り出すものは、すべて無常である
と見るとき、心は苦しみから離れる。

心が作り出すものは、すべて苦しみである
と見るとき、心は苦しみから離れる。

すべてのものは、思い通りにゆかぬ無我と
みるとき、心は苦しみから離れる

これが、心が安らぐ道である。

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「寄る辺なき無常感」にあらためて確信を得た私の考え方と行動

いつも考えている。
自分にできることを。
しかし、なかなか思うように進まない

いくら考え、動いても、現実は、
そうそう思うように進むはずもなく。

なんとかしたいという強い思いと努力
で解決できることばかりではない、
人の問題に関しては、特に。

「寄る辺なき無常感」は、存在する。

そう頭で理解できても、心が背く。
できうるならば、なんとかしたいのだ。
この思いは止まるところをしらない。

「全てのものは、思い通りにゆかぬ無我
と見るとき、心は苦しみから離れる。
これが、心が安らぐ道である。」

本書にあるこの言葉は、自分には
どうしても馴染まない。

無我と見ることは、心が休まらない。

なかなか上手くいかないが、解決に
向けて考え、動いていたい。そうで
あることが、安らぎに感じるのです。


「喜ぶ姿」を見たいだけなのです。

「ありのままの自分」、それは、解決に
向かい続ける姿、なのかもしれない。

大事なのは相手の気持ちを起点に考えられ
た心から安心できる解決策であること。

「ありのままの自分」は、きっと、
人それぞれに、経験とともに、
成長しているのだろうと思うのです。

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まとめ(ありのままの自分で)

今回は、『ありのままの自分に気づく』
(小池龍之介)についてお伝えしました。

素の自分に気づかないまま、自分の弱さを
素直に受け入れられないために、孤独感や
渇愛が増してくるのです。

いちばん大切なのは、ありのままを受容
すること。

心の問題を克服する術として、著者は
こう諭してくれます。

理解できます。

確かにこの言葉を知り、心が楽になる人は
多いことでしょう。

しかし、私の場合は、少し心の向きが
ことなるのでしょうか。

そう思えない自分を感じます。

常に解決に向けて考えていたい!
行動していたい!
解決に向けて寄り添っていたい!

そう思うのです。
それが、本書を読んで、あらためて
感じた私の「ありもままの自分」の
姿なのだと思うのです。

あなたは、どちらでいたいですか?

人それぞれです。自分の肌に合う生き方、
心地よく、素直な自分でいられる状態に
身を置くことが肝要なのだと思うのです。

静かに落ち着ける場所に身をおき、
「ありのままの自分」について
考えてみてほしいと思います。

新たな、そして素敵な将来に向かって。

ボアソルチ。

株式会社CSI総合研究所
 
代表取締役 大高英則

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