千思万考の友『方丈記』鴨長明

書評

行く河の流れは絶えずして、
しかも、もとの水にあらず。

これは、本書『方丈記』(鴨長明)の
書き出しの1行です。

多くの日本人が暗唱した経験を
お持ちのことと思います。

私も幾度となく、この響きに心を惹かれて
口ずさんだ経験があります。

「無常の真理」に想いを馳せたい、
そうした時期があると思います。

この一行を口にする度にそうした感情を
伴った日々が連綿と思い出されます。

皆さんにはこの「方丈記」、
どのような「思い」と「思い出」が
おありでしょうか?

秋の心が鎮まる夜に、虫の音と共に
ゆっくり読み返してみる、そうした
時間を過ごすのも良いものです。

「千思万考の友」とされてみては、
いかがでしょうか。

『無常』

『この世の中の一切のものは、常に
生滅流転して永遠不変のものはない。』
(goo辞書より)

「無常」という言葉とは、一度じっくり
向き合ってみたいと思っていましたが、
その時がきたようです。

本書は以下の章で構成されています。

・万物をつらぬく無常の真理
・無常をさとす天災・人災
・無常の世に生きる人々
・過去の人生を顧みる
・山中の一人住まい
・わが人生の生き方

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本書で学んだ素敵な言葉

折をくぐり抜けながら
成長していった人生観

本書「方丈記(はじめに)」より

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千思万考を常とし前向きの人生を歩んでほしい!

鴨長明という名から、
どのようなイメージが湧くだろうか。

無常、人生の儚さ

「河の流れを目の前にして、無常感に
身を染め続けた人」というのが、
自然に感じる印象ではないか。

私は、そのように感じていました。

しかし、本書の「はじめに」の章には、
次のように記されています。

『鴨長明という名を聞くと、河の流れを
眺めながら「無常」に浸っている引き籠り
のおじいさんを想像しがちです。

しかし、実際は「無常」に積極的に立ち向
かい、前向きに人生の改革をはかった人物
です。』

鴨長明という人は、そうした強い意思を
持って、断じて行動に移せる人であった
ようです。

私は常に万考を心がけ、行動に結びつける
ことこそ問題解決の手だてだと考え、実践
をしてきました。

しかし、大きな壁を前にし、
怯むことは、当然あります。

そんなときに「方丈記」の最初の書き出し
を口ずさみながら、ひと時、その置かれた
状況に流されてもしかたがない、

なにも考えずに、こころを架空の河に
委ねて、状況の変わるのを待つという
「弱音の時」を過ごしても良い。

そんな心の逃げ場のような位置づけに
「方丈記」を置いて、時々読み返して
いました。

しかし、実際の書き手である鴨長明は、
「無常」に積極的に立ち向かい、
前向きに人生の改革をはかっていた。

なにか、こころが晴れ、自分らしからぬ
後ろ向きの姿を正せたような、そんな気に
なったことを思い出します。

真の鴨長明を知ることで、本来の自分を
取り戻し、次に向かう希望を感じること
ができたように思います。

深く携わることで真実を知ることの
意味とその影響の大きさを感じます。

深く考え、前向きに行動を起こすことの
大事さを本書からあらためて学びました。

生き詰まった自分を心の奥に、
一旦置くことも時には必要です。

しかし、逃げ場としてその庵に少し留まっ
たなら、再び向かう為に、前に出る。

本書を手元に置き、深呼吸をする。

深く考え、前に向かってほしい、
そう願っています。

そのために、本書「方丈記」は、
良き支えとなってくれるはずです。

お勧めの一冊です。

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無常に積極的に立ち向かう長明の考え方

『物理的にも心理的にも極限まで追い詰め
られた。その中から長明は自分の無常観を
創り上げた。』

これは、本書「方丈記」の「解説」に
記された言葉です。

「無常観」の意味が際立ち、かつ意味深く
感じさせる言葉です。

さらに、次のように、その実態を記して
います。

『信念に従って行動する人間にしか、
理屈を超えた世界の扉を開かない。』

心から崇高に思えてくる表現が
なされています。

至極、自然に受け入れることが
できます。

「無常観」について、長明の考えを知り、
そこから自分の正直な心と対峙し、
独自の考えに至ることは、

とても大事なことだと思うのです。

そして、自ら導き出した考えに基づき、
「行動」に移すことが必要なのです。

自らを信じて、行動する。

益々多様化する現代においては、多くの
問題を解決する為に、千思万考し、
行動し続けるしかありません。

「無常」という言葉の受け入れ方は、
人それぞれであろうと思うのです。

しかし、多くの人は、その「儚さ」の印象
が強い故に、「諦め」の境地に入る人が
多いのだと思います。

長明のように、積極的な心で向き合う人は
とても少ないように思うのです。

ですが、自分の置かれた人生環境を通じて
大変厳しい境遇に置かれながらも、その強
い意思の元に「無常」を捉えた長明。

そこには、語りきれない深い事情と
思案の混淆する状況にあり、そして、
そこに向き合った「意志」を感じます。

本書「方丈記」に触れ、長明の強い心が
生まれ出る道程を辿ってみることを
お勧めしてます。

では、本書の中で私が特に興味を惹かれた
箇所を引用しておきます。

本書に綴られた考え方を知り、自分は
どう考え、どう行動に活すのかを、
ぜひ、考えてみて頂ければと思います。

【引用5選】

❶河の流れも人の世も無常

行く河の流れは絶えずして、しかも
もとの水にあらず。

淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ
結びて、久しくとどまりたる例なし。

世の中にある、人と栖と、また
かくのごとし。

❷無常の世を生きる苦労

すべて、世の中のありにくく、わが身と
栖との、はかなく、あだなるさま、
またかくのごとし。

いはんや、所により、身のほどに
したがひつつ、心を悩ますことは、
あげてかぞふべからず。

❸終の棲家は方丈の庵

ここに六十の露消えがたに及びて、
さらに、末葉の宿りを結べることあり。

いはば、旅人の一夜の宿を造り、
老いたる蚕の繭を営むがごとし。

❹何事も心の持ち方しだい

それ、三界は、ただ心ひとつなり。
心、もし安からずは、象馬・七珍も
よしなく、宮殿・楼閣も望みなし。

今、寂しき住まひ、一間の庵、
みづからこれを愛す。

❺何事にも執着心を捨てよ

そもそも、一期の月影傾きて、余算の山の
端に近し。たちまちに三途の闇に向かはん
とす。何の業をかかこたんとする。

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本書に私淑して私が思うこと

「無常」という言葉と向き合う。

孰れ訪れるであろうと、忙しく生きる中で
そうした思いが意識の遠い端で蠢いていた
ように思います。

そして、今がそのときのように
感じています。

再び、「方丈記」を手にし、
そう、心の友(もう一人の自分)が、
突然囁きだしました。

人は、どんな境遇にあったときに、
「無常」を感じるであろうか。

私は「行き詰った時」、そう
明確に申し上げることができる。

元来、諦めることを知らない自分、
如何なる手段によっても挑み続ける、
そうした生き方をしてきた。

そういう生き方しかできなかった。

そして、それでなんとか、
今までは、生きてこられた。

しかし、限界は訪れる。

自分の力量に限界を感じた瞬間、
頭に浮かんできたのは、
この「無常」という言葉。

やりつくした、しかし、望む結果を
得られない。

ただただ、後ろ向きの心情の中、
「マイナス」力の強い、
無常という言葉。

「儚さ」の度合いが濃い、
無常という言葉。

そんな中、あらためて手にした
「方丈記」。

長明の「無常」、その先の「無常観」を
これまでと異なる視点で感じることが、
できたように思います。

極限まで追い詰められたからこそ、長明は
自分の「無常観」を作り出せたのだと理解
できたように思います。

そして、本書「解説」に記された以下の
言葉が、強く心に残りました。

『知と血とで練りあげた独自の実践的な
「無常観」だった。』

今の私にとっての無常観は、どんなに追い
詰められても、「無常」という言葉に一旦
自分を預けることができる存在。

それは、諦めとか、現実からの逃避とか、
そういうことではなく、「止まり木」。

一旦そこに身を置き、儚さに心を委ね、
目の前の困難から心を離すことができたら
再び、困難に立ち向かう「意志」をつくり
なおしてくれる存在。

そのように考えるようになりました。

「無常観」は、人それぞれ、自分が持つ
イメージを大事にできれば、それで、
良いと思うのです。

長明のように、自分の「無常観」を
創り上げることができれば、人生を
生きていけると思うのです。

私は、本書「方丈記」に私淑して、
自分の「無常観」を創れたと思って
います。

前に向かって歩き続ける勇気を持てたと
感じています。

自分で、そう感じることが、とても
大事なことだと思っています。

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まとめ(「千思万考」)

今回は、『方丈記』(鴨長明
についてお伝えしました。

『筋金入りの「無常観」ー天変地異の試練
を受けて』

これは本書「解説」に記された内容です。

そして、続いて次のように
記されています。

『長明の「無常観」は、青春期の「無常」
体験を土台とする。「無常」体験とは、
言わずと知れた五大天変地異との遭遇で
ある。』

長明の無常観には、信念を貫き通す
「強さ」のようなものを感じます。

それは、上記にある辛く厳しい実体験が
根源にあり、そこに向き合い、対処方法
を自分で見いだし、生きていった勇気に
よるのだと思うのです。

「体験」の力と影響は、想像できる範囲
を大きくを越すことがあると思います。

そのときにどうするのか。

どうすれば、良いのか。

冷静に状況を見て、対処方法を取る、
行動を起こすことが、人生の行く末を
分かつことになると思うのです。

長明は、例えば、大地震については、
人災の影響が多いことを見極め、市街地に
住処を移す現実策を講じています。

現代においても自然や人との関係から
起きる問題は絶えることがありません。

多様性が増す中、その困難な状況は、
日に日に増えていくことと思います。

焦らず、心を落ち着かせ、「方丈記」を
伴い早朝の湖畔などを散策されること、
お勧めします。

ボアソルチ。

株式会社CSI総合研究所
 代表取締役 大高英則

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